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赤べこちゃん伝説。Akabeko legend

虚空蔵堂外観
民芸品赤べこ
今から四百年ほど前の1611年に会津地方を襲った大地震でここ柳津も大被害を受け、虚空蔵堂をはじめ僧舎・民家が倒壊し多くの死者が出ました。その後の1617年に初めて虚空蔵堂(本堂)は現在の巌上に建てられたました。
本堂再建に使われた大材は、只見川上流の村々からの寄進を受け、只見川を利用して運ばれましたが、ここから巌上に運ぶのに大変困り果てていたところ、仏のお導きか、どこからともなく力強そうな赤毛の牛の群れが現れ、大材運搬に苦労していた黒毛の牛を助け、見事虚空蔵堂を建てることができたのです。
赤毛の牛の群れはなぜか虚空蔵堂の完成を待たずにいずこへともなく姿を消したと言われ、後に大材を運んでくれた牛に 感謝の気持ちと、ねぎらいをこめて建立されたのが開運「撫牛」であり、一生懸命手伝った赤毛の牛を「赤べこ」と呼び、忍耐と力強さが伝わりさらには福を運ぶ「赤べこ」として多くの人々に親しまれるようになりました。(福島県柳津町HPより)
その後も、この赤べこは、会津地方で伝染病が流行した時、赤べこを持っていた人が、病気にかからなかったということで、災難をよけたり、願いを叶えたりと縁起物のお守りとして有名になりました。

撫で牛について 

撫牛写真 撫牛とは、自分の身体の病んだ部分や具合の悪い部分を撫でた後、その牛の身体の同じ箇所を撫でることで悪いところが牛に移って病気が治る、という風習です。
この信仰は、「撫物」に由来しており、自らの病気や邪気を人形に移して祓い、心身を清めるというものです。
また撫牛は病気平癒のみならず、諸願成就にも効力があるとされ、開運を信じて牛を撫でると、出世はもとより万事願いが叶って思いもよらない幸運に恵まれることさえあると言われています。
子女の無病息災や子孫繁栄などの効能があるともいわれ、東京向島の牛嶋神社には撫牛によだれ掛けを奉納する風習があり、それを生まれたばかりの乳児に掛けると元気に育つという言い伝えが残っています。
撫牛信仰の起こりがいつの頃かはよく知られておりません。しかし、病気平癒を主とする形での信仰がさかんになったのは江戸時代からであるとされています。

開運撫牛について
境内にある「開運撫牛」を擦りながら願い事をすると叶うといわれています。

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福満虚空蔵尊 (圓蔵寺、円蔵寺)について。Akabeko legend

虚空蔵尊の由来 

当山の柳津虚空尊絵巻縁起によると、その歴史は今からおよそ1200年前にさかのぼります。
延歴23年(804年)、弘法大師・空海は唐に渡り修行を積まれた折、帰国する際に高僧より霊木を授かりました。
帰国後大師は、霊木を3つに分け海に投げられると、3つのうち、ひとつは今の千葉県天津小湊町に流れ着き、その霊木で刻まれたのが能満虚空蔵尊、今の茨城県東海村に至り大満虚空蔵尊が刻まれました。
最後のひとつがここ柳津町に流れ着き、霊木とめぐり逢われた大師がその木で尊像を刻まれ、これが福満虚空蔵尊であると伝えられています。
それを受けて、名僧・徳一大師がこの地に圓蔵寺を開創したと伝えられています。
通称「虚空蔵様」と呼ばれ、親しまれています。
日本三大虚空蔵尊 (清澄寺、日高寺) の一つであり、歴代の藩主/蒲生家、加藤家、松平家はもちろん、織田信長、豊臣秀吉・秀次なども代参し、徳川家からは10万石の待遇で、5年に1度の将軍拝謁を住職に許していました。
内外から年間100万人ほどの参拝客が訪れます。

福満虚空蔵尊。1.会津六詣出の一つ。2.会津三十三観音の番外札所。3.会津七福神の恵比壽。4.会津十二支守り本尊の丑・寅 (虚空蔵菩薩)と未・申 (金剛界大日如来)。5.会津徳一大師五大寺の一つ

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